結局、繁華街のホテルに泊まることにした。
 あまりにもまずい。あれはまずすぎる。
 何もあそこまで捲し立てなくて良かったんじゃないか。意味がわからない。
 というか、なぜあそこまで自分が暴走したのかがわからん。
 まだホルモンが安定してないというのもあるのだが、安定していないにもほどがある。
 思わずベッドであーとかうーとか呻いていると、携帯が鳴った。
 しまった。電源切ってなかった。
「……兄貴」
 着信画面に光る“大地”の文字。
 100%氷河絡みだろう。どうしようか悩みつつ、けど、やっぱり兄貴からの電話を無視することが出来なくて通話ボタンを押した。
「……もしもし」
『雷? 今どこにいるの?』
 安堵したような、怒っているような……声色ではわからない。
 それでも、生来の柔らかい兄貴の声に涙が出そうになった。
「……氷河から聞いたんだろ。俺今日は帰らないから。頭冷やす」
『喧嘩したってだけね。氷河が真っ青な顔で帰って来たから、また体調崩したのかと思ってぞっとしたよ』
 軽く言っているが相当心配したに違いない。
 駄目だ。
 何か、兄貴が他の人のこと心配してるだけで胸がざわざわする。
 氷河も心配だけど、兄貴に会いたい。
 兄貴に会いたい。
「今日は結局兄貴達はどうしたの?」
 沈黙が怖くて、聞きたくもない話題を振る。
『二人でDVD見てたよ。零が見たいって言ってたやつ』
「仲いいね」
『……うん』
 今の間に、何かを感じた。
 今の声の温度に、何かを感じた。
 まるで春の日向のような柔らかな声。
 何かが訪れた。
 私たちの仲を裂く、決定的な何か。
「兄貴、今出られる?」
『うん? どうした?』
「兄貴に会いたい」
 泣き声みたいな声が出た。
 面食らったのか、兄貴が鋭く息を呑む音が聞こえた。
「会いたい、兄貴に会いたい」
『……わかったから、どうした? 今どこにいる?』
「駅前のビジネスホテルに一人で泊まってる」
『そこまで行くから待ってなさい』
 そこで兄貴の方から電話が切れた。
 俺はわけもわからず涙がぼろぼろ出て、生理前だからかな、ホルモンバランスが崩れてるんだな、こんなタイミングなんて運が悪いな……ずっとそんなことばっかり思ってた。
 通りに面した窓にもたれかかり、彼の人が来るのをじっと待つ。
 何分くらい待っただろう。
 携帯が軽やかなメロディを鳴らす。
『着いたよ』
 目を走らせると、大通りの向こうに兄貴の姿が見える。
「前にいて、降りる」
 急いで化粧直しをしてから鍵を掴み、飛び出す。
 夜のとばりが降りた街は薄暗く、エントランスを飛び出しても兄貴の表情がうまく分からない。
 見たくないからかも知れない。
「兄貴……ごめんなさい」
 だから、声がぎりぎり聞こえるかどうか分からないあたりで立ち止まり、言葉を投げる。
 小首を傾げた為、その表情が浮かび上がった。
 ただ、純粋に心配した表情。
 泣きそうになった。
「兄貴、氷河なんて言ってた」
 だから顔を見られないように俯いて聞く。
「いや、雷と喧嘩したって。怒らせたって」
 兄貴、薄着だ。よっぽど心配してくれたんだろう。
「今は大丈夫?」
「うん、今は零が話聞いてる」
 また零か。という事は零は家に泊まるのか。
 家に帰りたくないけど、自分がいない夜に兄貴と零が一緒にいるのはイヤだ。
 申し訳ないと同時に、ふつふつと暴力的な衝動が沸いてきた。
「兄貴、寒いよね。部屋に行って話してもいい?」
 上目遣いで聞くと、わずかに戸惑いながらもついてきた。
 気づいてる? こんな風に部屋で二人きりになるの初めてだって。
 
「……うわっ!」
 部屋に入るなり、兄貴をベッドに突き飛ばした。
 全く予想もしていなかったせいか、見事に布団に埋もれる兄貴。可愛い。
 ちょっと怒ったような顔で起き上がろうとするのを馬乗りになって止める。
「ねえ、気づいてた? 俺が兄貴のこと好きだって」
 おかしい。軽い調子で言うつもりだったのに。
 涙なんか流すつもりなかったのに。
 こんな悲壮な声出すつもりなんてなかったのに。
 目を丸くして動きを止めた兄貴の表情が、すべてを物語ってる。
 最初から私は一人で踊ってただけなんだ。
 零のことしか見えてない兄貴には、俺はただの“きょうだい”。
 ハナから雷と同じ土俵になんて、乗ってなかったんだ。
 身体が震えて力が出ない。
 このまま無理矢理関係を持ってしまえば、兄貴はどうなるのかな。
 あんまり性的な実験をされていないであろう兄貴は猥談すら好まない。
 炎は言うに及ばず、あの氷河ですら平気な顔をしているというのに。
 多分、自分だけそういう実験をされてなかったから、心苦しいんだ。
 だって兄貴は綺麗だから。
 汚してしまったら、零のところから俺のところまで墜ちてくれるかな。
 同情でも悔恨でも何でもいいから、側にいて欲しい。
「好きなんだ、兄貴のことが」
 わけもなく涙が出る。
 ぽろぽろこぼれて兄貴の頬を濡らす。まるで兄貴が泣いてるみたいだ。
「……そっか」
 目を伏せた兄貴がぽつんと呟く。
 もうこれ以上早く動くはずないと思ってた心臓が、更に早鐘を打つ。目の前がくらくらする。
 強い意志を持った目と、俺の泣き腫らした目が合う。
 短く息を吐き、力なく微笑んだ表情で分かってしまった。
「ごめんな」
 
 何度も何度も振り返る兄貴を帰らせ、だらしなくベッドに寝転がる。
「最後まで“おにいちゃん”のまんまかぁ……」
 こんなにスタイルのいい女が身体に跨ってるというのに。あの男は何の反応もせずに、ただ純粋に“きょうだい”の心配のみを貫き通した。
「あー……」
 恥ずかしさにいたたまれなくなり、意味もなく跳ね起きる。
 酒を飲もう。憂さ晴らしだ。
 コンビニにでも行こうかと靴に爪先が触れた瞬間、無意識に窓の外を見た。
「……?」
 何かが目にとまり、窓に近づく。
「氷河!?」
 小走りに駆ける、さらさら揺れる銀髪が夜道に映える。
 紛うことなくこのホテルの前に立ち止まり、もどかしげにポケットを探る。
 あ、携帯か……思う間もなく、乾燥した部屋に鳴り響く着メロ。
「…………もしもし?」
『……ハァ、ハァ……ぁ、雷? 大地兄から聞いて……っ、今っ前まで来てるんだけど』
 乱れた呼吸の中で、必死で話しかけてくる。
 あの氷河が、息を乱している。
 びっくりして飛び出し、気づいたら、目の前に氷河がいた。
「……い、勢い良すぎだろ」
 わずかに頬を紅潮させ、目をまん丸にしている。
 全力疾走でもしたのか、額に汗が浮いている。またそんな無茶して……倒れたら怒られるの俺なんだぞ。
 俺と目が合うと、イヤな別れ方を思い出したのか少し気まずげに目を逸らす。
「何か、大地兄の雰囲気が普通じゃなかったから……それに、大地兄も誰か雷のとこに行ってやれって」
 聞いてもいないのに言い訳みたいにつらつらしゃべる氷河は、多分気まずいのだろう。
 兄貴も多分、一番こいつが行っちゃいけないと思ってたはずだけど。実力行使でもしてきたかな。
「ぁ……あの、雷、さっきは余計なことしてごめん」
 顔は逸らされて見えないから、真っ赤になった氷河の耳たぶを見つめる。





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